会社概要・自己紹介
商 号 | トリップパートナーズ株式会社 Trippartners.Co.Ltd.
千葉県知事登録旅行業第3-917号 2014年11月11日設立 資本金 7百万円 |
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代表者 | 田辺 一宏 (じぶん旅プランナー) |
所在地 | 千葉県佐倉市井野1313-19 |
連絡先 | 携帯 090-1805-0224 電話・FAX 043-461-6365 |
・動画インタビュー
代表者プロフィール
生年月日:1954年2月24日(スティーブジョブズと同じ誕生日)
出身地 :福岡県福岡市
趣 味 :旅行、ドライブ、釣り、乗馬
家 族 :妻と子供達(独立)、母
略 歴 :
福岡市 花畑小学校、同中学校、城南高校卒
1978年 九州大学経済学部卒
1年休学して、欧州・アジアをバックパッカー旅行
1978年 商工中金(政府系金融機関)に入社
主に融資、国際業務に従事。NYに1年滞在
1998年 理想科学工業(株)に転籍
主に海外営業本部で、海外への高速印刷機の拡販、
海外子会社の設立・管理に従事
2014年 4月 定年退職
2014年12月 千葉県知事登録旅行業を開業
資 格 :総合旅行業務取扱管理者、 総合旅程管理主任者
英検1級、 公認内部監査人
2020年 9月 「障害者グループホーム」を開設
WEB: https://www.agora-fukushikai.com/
【ライフシフト・ジャパン社のWEBサイトでの経歴紹介】
【新刊本で紹介して頂きました!】
1)「小さな商いのはじめ方」
起業の師匠である三宅哲之氏の本で事例紹介
2)「身の丈に合ったシゴトづくり」で自分らしい人生を切り拓く方法」
~ゼロから起業して人生を変えた12人の実話ストーリー
12名の起業家の1人として紹介頂きました。
【Facebookでも訪問先情報を掲載】
【旅行業で起業した理由】
「人生60年間で、一番ワクワクしたことは何か?」と定年が迫る頃に考えました。
私の一番の思い出は、学生時代のバックパッカーという海外体験でした。
会社員として94回海外出張をしましたが、その94回全部を合せても、たった一度のバックパッカー旅行の感動の方が強いのです。1年にわたる滞在型の旅は素晴らしい冒険体験でした。
この年齢では、学生時代と同じ旅は出来ません。それでも、もう一度、旅人と生活者双方の目線で街歩きを楽しみたいと思いました。
そして、旅の感動を旅仲間(お客様)と共有することで、楽しさを倍増させようと考えました。
学生時代の1年間のバックパッカー海外旅行は、気に入った街に一定期間滞在する、気ままな暮らすような滞在型海外旅行でした。
バックパッカー旅行を始めたいきさつ
浪人時に一冊の海外バックパッカーの本に出会い、大学に入ったら英会話と旅行費用を貯めようと決意しました。
大学入学以降は、英会話習得のため、お金が無かったので、NHKラジオ英会話が教材でした。テキストを何度も反復学習して覚え、かつ実践の場としてESSクラブに入りました。
同時に、いろいろなバイトを2年間徹底して行い、片道航空運賃と滞在費用を蓄えました。そして、計画通り大学2年終了時に1年間休学して欧州・アジア各国を旅しました。
【旅の体験談】
行先は西欧、北欧、東欧、中近東、アジアの順番です。結果的には20ヶ国を巡りました。2~3ヶ月滞在したのは、スウエーデン、ポーランド、インドです。
1) スウエーデン
デンマークからスウエーデンに向かうフェリーで、同じバックパッカー姿の青年から声をかけられました。彼は、アフリカを旅して、両親や兄弟が暮らす実家に戻る途中のスウエーデン人でした。
僕の宿が未定であることを知ると、彼は両親の家に宿泊してはどうかと提案してくれました。僕もちろん直ぐに快諾しました。家は郊外にあり、庭にはリスやウサギが現れ、長旅の疲れが癒されました。
彼の母親から、近所の公民館で何かして欲しいと頼まれました。日本の折り紙を披露し、参加した主婦や高齢者から喝采を受けました。折り紙は、日本で本を買い、交流のために準備していました。また、日本食の作り方や簡単な指圧の基本を事前に覚え、交流を深めるアイテムとして活用しました。日本食は天ぷらを作りましたが、無残な出来栄えでした。それでも、皆さんは「初めての日本食TENPURA」を頑張って食べてくれました。
それから、英字新聞の求人欄を教えてもらい、バイト探しをしました。やっと、ホテル厨房でのバイトが見つかりほっとしました。なぜなら、日本までの旅費が底をつきかけていたからです。
バイト料が入ると、お世話になったお礼に、ささやかながら宿泊代をお渡ししました。
そして、市の中心部に安アパートを借りました。ホテル厨房のバイトはというと、一人の人間が入れる程の大鍋を洗ったり、一生食べきれない程のジャガイモの皮剥きと格闘したりして、旅行資金を稼ぎました。厨房では、調味料として日本の味の素や醤油を使っていたことを覚えています。
なお、帰国半年後に、スウエーデンでのバイト時の源泉税が還付されたのには、本当にビックリしました。
2) ポーランド
夏をむかえた頃に、ポーランドに向かいました。ところが宿が見つかりません。当時は観光産業が発達しておらず、かつ夏季のため、ホテルは慢性的に満室状態でした。
観光案内所で宿探しに苦労していた所、一人の大学生と出会いました。大学の学生寮が、学年の切り替えのため、9月まではベッドが空いていることが判り、1か月ほど滞在させてもらいました。もちろん、大学側は知りません。学生寮の警備は緩やかでした。
寮には、9月入学の新入生もいて、一緒に飲んだり、歌ったり、踊ったり、青春を謳歌しました。学生達の家庭にも招かれました。
当時は共産主義体制で、ロシア支配が強く、皆がそれに反発していたのが印象的でした。公には反発できない環境でしたので、鬱積したものを強く感じました。反ロシアの感情は他の東欧諸国でも同様でした。
写真:ポーランドにて
3) インド
インドではガンジス川のほとりに1か月滞在し、文化・宗教の違いに、世界観の見直しを迫られました。当時はハンセン病患者が路上で生活していて、人々の力強さと悲哀の両方を肌身で感じました。
さて、一番恥ずかしかったのは、長距離バスで移動中、野外で隠れて用を足し、最後にトイレットペーパーを用いたとたんに、いつの間にか隠れて見ていた現地の子供たちに爆笑されたことです。現地では左手(不浄の手)を使って、水洗いするのが習慣でしたので、紙を使う仕草はとてもおかしなことだったのです。
お尻は、紙を用いずに水洗します。インドだけでなく、イスラム諸国も同じでした。
旅行中の失敗談
旅行中に最も肝を冷やしたのは、ポーランドでの所持金紛失事件です。宿捜しに夢中になってしまい、財布を電話ボックスに置き忘れました。5分程後に戻ったのですが、財布はどこにもありません。途方に暮れて電話ボックスの周辺をうろうろしていると、一人の青年が近づいてきて手振りで家に招かれました。彼の家に着くと驚いたことに財布ごと所持金が置いてありました。お互いに言葉は通じませんでしたが、手振り身振りで1割のお礼をして財布は無事に戻りました。
次の災難は、インドのカルカッタ滞在中でした。パスポートがいつのまにか消えていました。パスポートの再発行に2週間ほどかかりました。その間、インド内の旅行は自由でしたので、南インドを旅しました。
英会話
旅行中は、ネイティブ以外と話すことがほとんどで、その場合、コミュニケーションが優先される結果、双方ともにゆっくり話します。ですからネイティブとの会話と違い、気が楽でした。僕の体験から言えることは、海外旅行中に英語の上達はあまり期待出来ません。もっとも、旅のつれづれの英語読書は若干役に立っているようです。
日本でしっかり英会話の基礎を身につけることが大切です。海外で長く暮らしても、しっかり学習しないと英語は話せるようにはなりません。