定年後の生き方

定年後の生き方は様々です。

僕の場合は、会社員での役職定年、定年後の給与大幅減をきっかけに、旅行業での起業を選択しました。起業に至る経緯と僕のプロフィールを以下に記載しました。

 

 

起業に至る経緯

役職定年で、57歳の時に部長から課長へ、59歳の時に課長から平社員(法務スタッフ)

になりました。また、定年後は嘱託雇用の道があるものの、給与は大幅に下がります。このような、役職定年や嘱託制度は多くの企業で採用されていて、企業側としては、社員若返りや雇用維持のために必要な制度かもしれません。但し、本人としてはモチベーションが下がります。

 

そこで、自由な生き方と人に役立つことを求めて、起業することにしました。当初は、英語学習での起業を考えていましたが、自分が好きで楽しめる海外旅行での起業を選択しました。

 

不安としては、金銭面の問題です。子供3名のうち、二人はまだ大学生で、学費や生活費補助が必要です。一方、公的年金の全額受領は65歳からですので、それまでは金銭面は楽ではありません。しかし、65歳になってからの起業では遅いと判断して、60歳のうちに起業することにしました。

 

 

僕のプロフィール

【少年時代】

釣りに夢中でした。自宅前の池で、多い日には一日にフナを100匹以上釣りました。時々、父に

連れられて川や池に釣りに出かけました。いつかは父より多く釣ることが夢でした。父はウキを手作りする程研究熱心で、作品の一部は「和作」の名で、東京の釣具店に高級ウキとして販売されるほどの腕前でした。

中学時代は、バレーボール部に所属し、厳しかった練習が良い思い出となっています。毎日、神社の階段を上り下りさせられたり、時には山の中腹までマラソンしたりして鍛えられました。おかげで体力がつき、身長もその時に伸びました。当時、バレーボールは9人制から6人制への移行期で、残念ながらレギュラーにはなれませんでした。

 

 

【学生時代と海外バックパッカー旅行】

浪人時に海外バックパッカーの本に出会い、大学に入ったら英会話と旅行費用を貯めようと決意しました。大学入学以降は、英会話習得のため、(お金が無かったこともあり)NHKラジオ英会話が教材でした。テキストを何度も反復学習して覚え、かつ実践の場としてESSクラブに入りました。同時に、いろいろなバイトを2年間徹底して行い、片道航空運賃と滞在費用を蓄えました。そして、計画通り大学2年終了時に1年間休学して欧州・アジア各国を旅しました。行先は西欧、北欧、東欧、中近東、アジアの順番です。結果的には20ヶ国を巡りました。2~3ヶ月滞在したのは、スウエーデン、ポーランド、インドです。スウエーデンでは同じくバックパッカーの青年と知り合い、彼の家に暫く滞在しながら、近所の公民館で、素人で音痴ながら日本の歌・折り紙・指圧等を教えたりしました。その後、ホテルの厨房で、女性が1人入れる程の大鍋を洗ったり、一生食べきれない程のジャガイモの皮剥きと格闘したりして、その後の旅行資金を稼ぎました。なお、帰国半年後にスウエーデンでのバイト時の源泉税が還付されたのには、ビックリしました。

次に当時、共産主義体制であったポーランドに向かいました。ところが宿が見つかりません。運よく知り合った大学生の学生寮に1か月ほど滞在しました。当時はまだロシア支配が強く、皆がそれに反発していたのが印象的でした。公には反発できない環境でしたので、鬱積したものを強く感じました。反ロシアの感情は他の東欧諸国でも同様でした。

インドではガンジス川のほとりに1か月滞在し、文化・宗教の違いに、世界観の見直しを迫られました。当時はハンセン病患者が路上で生活していて、人々の力強さと悲哀の両方を肌身で感じました。

旅行中最も肝を冷やしたのは、ポーランドでの所持金紛失事件です。宿捜しに夢中になってしまい、財布を電話ボックスに置き忘れました。5分程後に戻ったのですが、財布はどこにもありません。途方に暮れて電話ボックスの周辺をうろうろしていると、一人の青年が近づいてきて手振りで家に招かれました。彼の家に着くと驚いたことに財布ごと所持金が置いてありました。お互いに言葉は通じませんでしたが、手振り身振りで1割のお礼をして財布は無事に戻りました。また、インドのカルカッタではいつの間にかパスポートが消えていました。さて、一番恥ずかしかったのは、インドを長距離バスで移動中、野外で隠れて用を足し、最後にトイレットペーパーを用いたとたんに、いつの間にか集まっていた現地の子供たちに笑われたことでした(当時、現地では左手で直接拭いて、水洗いするのが慣習でしたので、紙を使うのはとてもおかしなことだったのです)。

ところで、旅行中は、ネイティブ以外と話すことがほとんどで、その場合、コミュニケーションが優先される結果、双方ともにゆっくり話します。ですからネイティブとの会話と違い、気が楽でした。僕の体験から言えることは、海外旅行中に英語の上達はあまり期待出来ません。もっとも、旅のつれづれの英語読書は若干役に立っているようです。

帰国後は、日本の良さを認識しました。大学に戻り会計学を勉強する傍ら、4年次に英検1級を取得しました。また、大学生時代にはAISECという団体に入り、外国企業でのインターンシップ促進活動を行い、自らも4年次の夏に西ベルリンの火災保険会社で研修を受けることが出来ました。残念ながら第二外国語であったドイツ語はいまだに習得出来ていません。

 

 

【銀行員時代】

就職先は、待遇が良くて各種業界と接触出来る銀行を選択しました。融資担当として、主に中小企業の幹部の方々と面談する機会が多く、企業を見る目を養うことが出来ました。当時はバブル時代の不動産融資案件などで苦労しました。銀行の営業職は日中の間、顧客と面談し、帰社してから融資判断などの書類を作成することが必須なので予想を超えてハードな毎日でした。

英語との関連では、国際部に所属し、社内と顧客双方に外国為替・海外進出支援の指導を行いました。米銀での研修のため、約1年間、New Yorkに住みました。NYでは地下鉄が24時間運行していたおかげで、昼夜を問わずに楽しみました。ミュージカルを頻繁に見に行きましたが、英語の聞き取りは充分に出来ず、ヒアリングが課題でした。その研修場所であったマンハッタンの貿易センタービルは、2001年の9:11のテロで標的となり崩壊したビルです。テレビで見た最初の事件映像は現実とは思えず、茫然自失でした。

 

 

【機械メーカー時代】

44歳で機械メーカーに転職しました。営業部門に長くいましたが、社内では開発や製造部門からの協力を得たり、社外では海外の子会社や販売先との市場開拓やコミュニケーションに労力を費やしました。

海外営業本部では、欧州・米州・中国の各地域の責任者として、海外市場展開と海外子会社管理に力を注ぎました。最も苦労したことは、中国の合弁会社との折衝です。中国は欧米と社会構造が異なり、課題解決には中国側の協力が不可欠ですが、一方で利害の不一致があり、合意の兼ね合いが難しかったです。幸い、上司のサポートに恵まれ、良い方向に解決していくことが出来ました。

会社でのビジネス英語は、共通のテーマがはっきりしていて、相手に伝わらないと先に進まないので、ある意味では楽だと思います。一方、仕事以外でのネイティブ同士の会話は、理解できない場合がけっこうあり、ネイティブ間の会話に割り込むことは難しく感じます。

ある年、米国子会社の幹部が東京マラソンに参加しました。彼が完走した後に僕に尋ねたことは、「沿道の応援者が『ファイト! ファイト!』と言っているが、どういう意味か?」でした。言葉は発音とアクセントが異なるとまったく違う言語となることを実感しました。簡単な言葉であっても、日本式の発音ではネイティブには通じません。

 

 

【旅行業開業を目指して】

2014年4月末に定年退職し、同年12月3日に旅行業を開業しました。 旅行業にしたのは、ツアーではない、「じぶん旅(滞在型海外旅行)」の楽しさを多くの方と共有したいと思ったからです。旅のスタイルは「暮らすように旅する」です。

 

 

旅行業開業には次の三つの関門があることが判ったのは、退職の2か月前でした。

1.旅行業は、不動産業等と同じく、役所への登録申請が必要。

2.旅行会社が倒産しても旅行者が旅行代金を回収できるように、営業保証金の供託が必要(最低3百万円)さらに、基準資産額3百万円以上なので、合計6百万円以上の資金が必要。

3.旅行会社の各事業所には、最低1名の旅行業取扱管理者の配置が必要。

事業所が、国内旅行のみ取扱の場合には、国内旅行業務取扱管理者、海外旅行も取り扱う場合には、総合旅行業務取扱管理者が必要。

試験は年1回、10月中旬頃。総合旅行業務取扱管理者の場合の全科目受験の合格率は、15%前後。

 

 

受験生期間:10月の「総合旅行業務取扱管理者」試験を目指して、勉強に励みました。各科目最低60%以上の点数が必要なので、必死でした。関係する法令や定款は覚えればよいので、何とかなりましたが、JR各社の運賃制度がややこしい! 国際航空運賃計算が難しい! でも、今年合格できないと、起業が1年延びてしまう! 時間が足りず、あせりました。やる気を維持するために、リュックを背負って、模擬試験にも数回参加しました。

 

 

10月12日:試験会場は、池袋の立教大学。受験者は約1万人。国際航空運賃は、かなり間違ってしまった。でも、英語は完璧だったので、合格していますように!試験勉強からは解放されましたが、合格したかどうか不安の日々が続きました。

 

 

11月:とりあえず自分を落ち着かせるために、会社設立の準備開始。素人ながら会社の定款を作成し、7日に公証役場で認証を受ける。11日は、法務局で会社登記申請を行う。11月11日「いい日、いい日」が会社設立日になりました。会社の登記手続きはスムーズに行き、17日に完了。

 

21日、合格発表日。 昼頃、合格証が書留便で届く! やれやれ、ほっとしました。

これで、旅行業登録に必要な書類が全て整う。

26日、千葉県庁に旅行業登録の書類一式を提出し、受理して頂く。

 

 

12月1日:千葉県庁から電話連絡が入ったので、さっそく旅行業の登録通知を取りに行く。

千葉県知事旅行業登録 第3-917号。

知事名は森田健作ではなく、本名の「鈴木栄治」となっていた。

2日に第3種旅行業に必要な、営業保証金3百万円の手続きを行う。

これで、開業に必要な諸手続きがすべて終了。3日から営業開始の運びとなりました。

 

 

【現在】

旅行業を2014年12月に開業して、2017年は3年目となります。

旅行業で取り組んでいる分野は三つあります。

 

1.「暮らすように旅する」をテーマとして少人数企画旅行

ホテルではなく、マンションや戸建てを借りて、暮らすように旅します。

1)欧州各国 ~毎回1か月ほど滞在

①2014年6月(起業前)~ フランス パリに長期滞在

 

②2015年6月 ~ イタリア ベローナの野外オペラはお勧め。

 

③2016年6~7月 ~ ポルトガル、スペイン、クロアチア、スロベニア

クロアチアの豊かなアドリア海と湖水がお勧め。

 

④2017年6~7月予定 ~ オーストリア、ハンガリー、チェコ、スイス

 

2)アジア

2017年3月 台湾に3週間滞在

 

2.お客様からの依頼を受けて企画旅行や手配旅行の実施

 

3.介護旅行

要介護の方や障害者の方でも楽しく旅行ができるように企画旅行を実施しています。

日帰り旅行が主体です。

 

 

旅行業は5年ごとに更新手続きが必要です。

更新のためには、基準資産額以上の自己資本が要求されます。

旅行業の更新ができるよう、取組んでいます。

 

 

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